tokyo_transferの日記

誤字脱字乱文気にせず書くことにしました。

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またアホがかく。



ヘタレ保守かあ。



わたしは小泉自民党に入れたのですけど。




まあ、小泉さんはうまくは無いけれど、でも、ある方向に向かうという約束に対する信頼はできるし*1今、力をわかりやすい方向に入れなきゃいけないなあ、とは思います。



今の時点で「制御」を用いて日本を良い方向に持って行ける日本人はいないと思うし。
(今の為政者は無能だってんじゃないよ、誰でも無理っしょ。)



なので宮台先生のおっしゃる、アフター郵政改革から「都市型リベラル」に主流が移っていかなきゃ、ってのは納得で、
それを民主党が(別のものでもいいんだけど。)ちゃんと担ってくれないとすごく困るなあと思っている。




こういう話を読んだ時は、僕は自分の問題にして考えがちで、
「僕はヘタレ保守かあ、、、」とちょっとうーんとなったりする。


きっとなる必要はないんだけど、



僕は「不安と不信に対する強い侠気」ってものに執着しているほうで、
(宮台せんせいの言葉を、俗な言い方でいえばアメリカマッチョになるのかな)

■ある主婦が言う。《一穴主義だが人を幸せにできない男。多穴主義だが人を幸せにできる男。どちらがいいか。昔は前者だったけど今は後者ね。人を幸せにできる男と付き合いたい。現に、人を幸せにする力があるからこそ彼に次々と女性が近づくんじゃないの》と。


という考え方に僕は強い反感を覚える方です。(此処でモテ非モテとかいう話,
僕にとっての話が絡むような気がするけど、あえてしないようにしよう)




その執着と反感は何なのかなあ?とずっと考えている。
論理としては、「内発性と信頼」の方が全く正しいと思うんだけどね、


でも自分のものに、うまくできないやい。



いろんな意味での自閉かしら。
あたりまえのことね。






ひとつ思うのは、

過剰流動性の不安に支配されない再帰的段階」

というのは、女性から放たれているのを専ら感じる、経験として。
あんまり男性から感じたことないなあ。




僕の思考は女の子から来ているから、自分の「反感」の根っこはやっぱそこにあるような気がする。




だれかすごく頭の良いブロガーの人が、「都市型保守と都市型リベラル」と「モテ非モテ」を連結して考えてくれないかな。



  • 追記
    • あー、田中長野県知事の項で宮台先生がもう書いてんのかもな。
  • 追記2
    • 過剰流動性への不安に支配されない再帰性、を見るに煽られる不安感。不安から来る対立は立ち位置を過剰に鮮明とする。お前が言うから悪いんじゃ、的論理だけれども。主義は獲得すべきものなんだろうか。安心してリベラルに移行できないものか。提供されるツールは諦念。あーうー。バカな子でのんびり暮らしたい子でも、血を流して諦念を獲得し、リベラルに立つのかな。そんなのひどくないか、と思う僕は、日本式社会主義の子なのかな。

*1:それが彼の商売道具だし。